まちトランポリンはなんで社会参加を大事にしているの?
社会参加が活発なまちは、そうではないまちと比べてどういう違いがでるのでしょうか?説明します。
このページは文量が多いのですべてを読むのは大変かもしれません。ぜひ目次を活用して、ご興味があるところを中心にお読みください。
このページの目次
社会参加が活発なまちの特徴
孤立感のないまち
孤立は、その人の健康状態に悪影響を及ぼします。例えば、孤立している人と社会とつながりがある人では、生存率に差があることを指摘する研究もあります。(*1)
また、周囲とつながりがなく孤立した 環境で子育てを行う場合、児童虐待が発生しやすいことも指摘されています。(*2)
私は社会福祉士として高齢者虐待のケースに関わってきましたが、高齢者虐待の多くも、地域などとのつながりがなく、孤立した家庭のなかで発生していました。
他にも、孤立感が自殺に強く影響していることを指摘しているデータもたくさんありますし(*3)、孤立感は攻撃的で過激なナショナリズムに結びつくことを指摘する意見もあります。(*4)
すべての人がまちに参加をしやすい仕組みを整えることで、孤立することなく、健康的に自尊心をもって生きやすいまちとなります。
信頼感のあるまち
都市街路の信頼は、街頭で交わす数多くのささやかなふれあいにより時間をかけて形づくられています。ビールを一杯飲みに酒場に立ち寄ったり、雑貨店主から忠告をもらって新聞売店の男に忠告してやったり、パン屋で他の客と意見交換したり、玄関口でソーダ水を飲む少年二人に会釈したり、夕食ができるのを待ちながら女の子たちに目を配ったり、子どもたちを叱ったり、金物屋の世間話を聞いたり、薬剤師から1ドル借りたり、生まれたばかりの赤ん坊を褒めたり、コートの色褪せに同情したりすることから生まれるのです。
多くの人がまちに参加し、まちに人と人のつながりがうまれ、活発になると、まちに信頼感がうまれます。一人一人のつながりはささやかでも、それが積み重なるとまちは温かみを帯びて居心地がとても良いまちとなります。たとえば子どもたちが街路で危険な遊びをしていたら、周りの大人たちが注意して子どもたちを守るようになります。同じまちの子どもに対して大人がある程度のつながりと責任感を感じるようになるのです。
逆に人と人のつながりがなく、よそよそしいまちでは子どもたちが危険な遊びをしていても大人はだれも注意しなくなります。
行政のパフォーマンスがよいまち
市民的な州における集団生活は、自分以外の人々もたぶんルールを守るだろうという期待でやりやすくなる。他の人々が一緒にやっていく気があるのを知れば、貴方もそうするであろう。その結果、彼らの期待が実現するのだ。市民度が低い州では、大概の人間は、他の人々はルールを破るものだと思い込んでいる。自分以外の人間が人をだますに違いないと思っていれば、交通法規、税法、あるいは福祉に関するわずらわしい細則を守るのはばかげて見えてくる(この種の青っぽい行動は、イタリア語でおひとよし(fesso)といい「寝取られ男」という意味もある)。結果として、貴方も人をだますのだ。そしてついには、メンバー全員の痛ましいシニカルな予想が確かなものとなる。
1970年代、イタリアは地方に新たに州政府を創設し、財源と権限の多くを州政府に移行する地方分権改革を行いました。これによって、自分の州の自治の責任の多くを州政府が負うようになりました。
同じ時期に同様にスタートした各州の州政府ですが、時がたつにつれて行政のパフォーマンスの違いが目立つようになりました。
例えば「中学を出たばかりの弟向けに職業訓練施設を紹介してほしい」等いくつかの同じ質問を各州政府の担当部局に郵送で行ったところ、一週間以内に満足のいく回答をする州政府がある一方、無視され続け、何度も電話をしたり係まで出向く必要があり、最終的に回答を得るのに何週間もかかった州政府もありました。
調査員が州庁舎に調査にでかけたところ、迅速丁寧に職員が応対する州政府がある一方、他の州政府では「俺には大物のバックがいるんだ」と職員が上司を脅している場面に出くわしました。
なにが原因で、行政のパフォーマンスの質にこれほどの開きがあるのでしょうか?社会学者のロバート・D・パットナムのチームが大量かつ多様な調査を行ったところ、市民が自発的に作った団体(アマチュア・サッカークラブ、合唱団、ハイキング・クラブ、野鳥観察クラブ、読書会、その他もろもろの団体……)の数など、4つの指標と行政のパフォーマンスが関連していることがわかりました。市民が自発的に作った団体の数が多いほどその州の行政のパフォーマンスが良く、団体の数が少ないほどその州の行政のパフォーマンスは悪くなる傾向がありました。
理由とされる意見にはいろいろとありますが、一つの意見に「信頼」があります。市民による自発的な活動が活発なまちでは、市民同士の信頼関係がうまれ、道徳意識が高くなる傾向があります。それが民主的かつパフォーマンスのよい行政組織を生み出しているという意見があります。(*5)
子どもたちが可能性を開くことができるまち
課外活動に参加していることは、在学中、そして卒業後のさまざまな種類のプラスの結果と強く関連している。― それは家族的背景、認知能力、その他多くの潜在的な交路変数を統制したあとにも成り立っている。そのようなプラスの結果には、成績平均点の高さ、中退率の低さ、無断欠席の少なさ、よい勤労習慣、教育目標の高さ、非行率の低さ、自尊心の高さ、心理的回復力の高さ、リスク行動の少なさ、市民参加(投票やボランティアのような)の多さ、そして将来の賃金や職業的達成の高さが含まれている。例えば、慎重に統制されたある研究によれば、一貫して課外活動に参加していた子どもは、偶発的に参加したにすぎない子どもよりも大学に行く可能性が70%高く、全く参加していなかった子どもよりもおおよそ400%高かった。
課外活動とは、学校の授業や実習以外に子どもが継続して参加することができる活動のことです。学校の部活動や習い事、地域のスポーツチームや趣味団体、ボランティア活動などがそれにあたります。
課外活動のメリットはいくつかありますが、重要なメリットはソフトスキル(社交性、自制心、努力する精神、チームワークやリーダーシップなど)を身につける機会を得られることです。また、例えば少年野球のコーチなど、家族以外に面倒を見てくれる大人と接触できることも重要なメリットとなります。そういった大人は、良き助言者として子どもたちの人生によい影響を与えてくれます。(*6)
まちが活発になり、まちで活動する団体が増えれば、子どもたちが参加できる団体の選択肢が増えるので、まちの子どもたちの可能性を広げることにつながります。また、自分自身の才能や素質に子ども自身が気づく機会も増えることになります。成功体験を経験する機会も増えることでしょう。
ただ、子どもが参加できる活動をする団体にお願いしたいことがあります。それは、可能な限り無料で子どもを参加させてほしいということです。特に所得の低い家庭では課外活動の費用は家計に影響することから、贅沢であるとして子どもが参加できないことがあります。その結果、ソフトスキルを身につけたり、まちの人と良好なつながりをつくる機会を得られないで、孤立した状況で成長せざるを得ない子どももいます。
子どもにとって課外活動がいかに重要かを説明する動画がありましたので、よかったらご覧ください。
居心地のよいまち
例えば治安がとても悪くて、殺人や強盗などの犯罪が頻発しているまちがあるとします。警察は、殺人犯を捕まえたりパトロールをするなど犯罪の抑止に努めていますが、なかなか犯罪はなくなりません。
そんなとき、市民がごみを拾ったり、花壇の花を手入れして景観を良くしたり、落書きを消すなどしてまちの美化に協力をしたら、犯罪率が減少します。殺人や強盗などの重大な犯罪は、落書きやゴミの投棄などの軽犯罪が多く発生しているまちで起こりやすいです。なので軽犯罪をなくす努力を市民が行うことで、まちの治安を良くすることができます。
警察は治安を良くするために一生懸命努力をしてくれますが、同時に、市民もまちに参加をすることで自分のまちをより良くすることができます。それはひいては、自分自身や自分にとって大切な家族や友達の命や財産を守ることにつながります。
そしてこれは治安以外のことにも言うことができます。
もちろん行政にしかできないことはありますし、行政が責任をもって行うべきことはあります。
ただ、市民が行政にすべてをまかせるのではなく、また行政も市民を下請けのように扱うのではなく、市民と行政が「一緒に」まちを良くすることで、他のまちよりも自分たちのまちを居心地よくすることができます。
ケアが充実しているまち
まちの活動に多くの市民が参加するようになると、ケアに関わるボランティアに参加する市民も増えます。例えばボッチャクラブなど、ケアを受けながら参加できる団体も増えます。ケアを受けている市民が受け身になるばかりでなく、ケアを受けながらも参加できるまちの活動も増えます。なのでケアを受けている市民にとっても居心地がよくなります。
市民同士のつながりが普段から活発だと、困ったときに状況が改善しやすくなります。例えば阪神淡路大震災のとき、市民のボランティアの活躍が大いに役立ったことは有名です。
自由で活発なまち
例えば、国の偉い人が、これからはすべての国民は黒い服しか着てはだめだと命令するとします。そうしたら、国民は黒い服以外の服でおしゃれする自由を失うことになります。
たとえ命令されなかったとしても、自分の周囲の人たちが黒い服しか着ていなかったら、自分も黒い服を選びがちになります。赤い服や白い服など、黒い服以外を選ぶと、目立ってしまうし、批判されるかもしれないからです。
逆に、周囲の人がみんな自由に多様な服を着ていると、自分も好きな服で自由におしゃれをすることができます。これが「多様性」のメリットです。「多様性」があるところには自由がうまれますし、「多様性」が制限されるところは不自由で息苦しくなってしまいます。(*7)
ケアを受けている市民を含む多様な人がまちに参加するようになると、まちに「多様性」がうまれます。多様な才能がまちで活躍することになります。
そしてまちは自由で活発なまちとなります。
まちトランポリンの先にあるもの
童話の「せかいいち おいしいスープ」のお話をご存知でしょうか?村人が協力して具材を出し合うことで、おいしいスープをつくるお話です。ご存知ない方はぜひ、下のリンクをご参照ください。
市民がお互いに信頼し、自分にできる範囲で自分らしいやり方でまちに関わることで、一人では創れない素晴らしいまちを創ることができます。
童話ではみんなで創ったスープを一人一人がいただくことができました。
同じように、まちを活発にすることは、周囲の人の利益にもなりますが、自分自身の利益にもなります。多くの人と喜びを分かち合って、喜びもひとしおです。
他の人のことを考えずに自分の利益のみを追い求めるのではなく、自分を含めて他の人の生活も良くしようと思う自立した気持ちが、市民参加を超えた素晴らしいまちをきっと形づくるのだと思います。